記念館についてABOUT
ごあいさつ
掛川市吉岡彌生記念館は、郷土の偉人、吉岡彌生の偉業を顕彰するために1998(平成10)年11月26日に開館しました。
館内では、年表や映像、移築・復元された生家・長屋門など、彌生に関するさまざまな資料から、「至誠一貫」を座右の銘にした生涯を学ぶことができます。また、彌生が医師であったことから、医療や看護、健康を中心とした内容の展示やセミナーも開催しています。
吉岡彌生の精神に触れ、また「健康」への関心を高め、より一層豊かな生活を営まれますことを願っております。掛川市吉岡彌生記念館 館長
吉岡彌生について
- 日本の近代医学史に大きな足跡を残した偉人
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1871(明治4)年3月10日、現在の静岡県掛川市に生まれました。その後、医師を目指して上京、東京の医学校では唯一、女子に門戸を開いていた済生学舎で学びます。1892(明治25)年医術開業試験後期試験に合格、日本で27番目の女性医師となります。
故郷で開業した後、医学の本場ドイツへの留学を夢見て再び上京。上京後は、ドイツ語を学びながら医師としても活躍していましたが、母校の済生学舎が女子学生の受入れを拒否したことを機に、1900(明治33)年東京女子医科大学の前身である東京女医学校を創立します。医学教育の他、さまざまな要職も務めました。
1959(昭和34)年5月22日、教育界、女性の社会的地位向上にも偉大な功績を残し、88歳で生涯を終えました。
吉岡彌生の言葉
一人の人間が自分の頭に閃いた考えを全責任を持って実行に移す生き方
それが私の一貫した方針です
人は神ではないから、完全は期せられない
七分の悪い点があっても三分の善い点があれば、自分は三分をとります
婦人が職業を持ち、社会で活動できれば、広い知識を得るのでありますから、
男子にとって真の好伴侶になることは当然でありましょう
吉岡彌生の年譜
1871(明治 4)年 | 0歳 | 旧暦3月10日(新暦4月29日)、現在の掛川市土方に生まれる |
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1876(明治 9)年 | 5歳 | 嶺向小学校に入学 |
1889(明治22)年 | 18歳 | 医師を志し上京 私立医学校「済生学舎」に入学 |
1890(明治23)年 | 19歳 | 医術開業試験前期試験に合格 |
1892(明治25)年 | 21歳 | 医術開業試験後期試験に合格 日本で27番目の女性医師となる |
1893(明治26)年 | 22歳 | 帰郷 鷲山医院の大坂村分院、横須賀村分院で診療活動を行う 医籍登録(6898号)を行う |
1895(明治28)年 | 24歳 | 再び上京 医院開業のかたわら、ドイツ留学をめざし東京至誠学院でドイツ語を学ぶ 東京至誠学院 院長の吉岡荒太と結婚 |
1900(明治33)年 | 29歳 | 東京女医学校を創立 |
1902(明治35)年 | 31歳 | 長男 博人が誕生 |
1912(明治45)年 | 41歳 | 東京女医学校が東京女子医学専門学校に昇格 |
1920(大正 9)年 | 49歳 | 東京女子医学専門学校が文部大臣指定学校に認可 日本女医会会長に就任 |
1922(大正11)年 | 51歳 | 夫 荒太が糖尿病の悪化により死去 |
1928(昭和 3)年 | 57歳 | 日本女医会の代表として、第1回汎太平洋婦人会議(於ホノルル)に出席 |
1937(昭和12)年 | 66歳 | 女性初の内閣教育審議会委員に就任 |
1939(昭和14)年 | 68歳 | 厚生省・文部省の嘱託として欧米諸国の母子保護事業・医学教育を視察 |
1951(昭和26)年 | 80歳 | 東京女子医科大学が学校法人に認可 |
1952(昭和27)年 | 81歳 | 東京女子医科大学 学頭に就任 |
1959(昭和34)年 | 88歳 | 5月22日 世田谷区羽根木町の自宅にて死去(享年88歳) 正五位勲二等瑞宝章が追贈 |
館内案内
吉岡彌生記念展示ゾーン
- 吉岡彌生の生涯を大きく3つの時代にわけて紹介しています。
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- 第一ステージ
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- 『志』1871~1900年
- 医師を志し済生学舎に学び、日本で27番目の女性医師となった彌生。のちに吉岡荒太と結婚するまで。
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- 第二ステージ
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- 『翔』1901~1947年
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医師をめざす女性の道を閉ざしてはならない
…その一心で創立した東京女医学校を東京女子医学専門学校に昇格させるまで。
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- 第三ステージ
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- 『愛』1948~1959年
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戦後の動乱の中で東京女子医科大学を開学。
また広く女性の地位向上に奔走する彌生の晩年まで。
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- 『至誠一貫』
- 一生を通じてすべての人に「まこと」の心で接するという意味です。
人と交わるときは、いつでも真剣に誠実に接し、偽りのない真実の心で尽くした吉岡夫妻の生き方こそ、「至誠一貫」でありました。
生家と長屋門
吉岡彌生の生家を移築し、また、明治末期まで存在していた長屋門を復元。
看護とケアの展示ゾーン
医学・看護に関する情報を展示しています。
(MONAC|Museum of Nursing and Care)