掛川市吉岡彌生記念館

展 示EXHIBITS

開催中の展示

働く女性 吉岡彌生が描いた未来

期 間
2023年12月19日(火) 〜2024年12月8日(日)
展示場所
吉岡彌生記念展示ゾーン

吉岡彌生が生まれ育った頃の日本は、外で働きお金を稼ぐのが男性、家のなかで働くのは女性の役割でした。さらに男性を尊重し女性を軽視する男尊女卑の風潮が色濃かったため、女性の地位は低く、何をするにも男性のサポート役という扱いでした。
明治33(1900)年、彌生は医師になるために通った母校・済生学舎の女子学生受け入れ拒否をきっかけに、東京女子医科大学の前身である東京女医学校を創立します。女性が医師となり経済的能力を養うことは、女性の社会的地位向上につながると考えていました。
しかし、明治41(1908)年、東京女医学校で初めて行われた卒業式では、来賓から祝福もあれば「結婚が遅れ、手術をして平気で血を流すような女が増えたら国が滅びる」といった女医亡国論が飛び出す一幕もあり、卒業式はたちまち討論会と化しました。その場は大隈重信が「女性医師の将来は今後の歳月を待って評価すべきである」と発言して鎮めたと言われていますが、女性医師に対して風当たりが強かったことが伺えます。こうした非難は、外で働く女性が増えると男性の仕事をとられてしまうのではないかという不安から出たものでもありました。
彌生が描いた未来はどんなものだったのでしょうか。当時の女性の立場と仕事を吉岡彌生の活動とともに紹介します。

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